大豆のブログというかメモ帳みたいなものです
イタリア語のプリントをやっていたら、気になる文章を発見しました
プリントに載っているのは「歯が痛いという子を連れて母が駆けこんできた、そういうわけで医者は子どもの歯の治療をすることにした」という雰囲気の会話なんですが……
頭の中でどうしても 子→ザンザス 母→ザンザスの母 医者→テュール に変換されてしまうのです
Mamma, dove sei? Non andartene, vieni qui vicino.
ママ、どこにいるの? いかないで、そばに来て
これは子どもの台詞です。訳の正否はともかく、幼いころはザンザスもこんな言葉を口にしたのかなぁと考えるとなぜだか気分はハッピーになる。現代ザンザス風に訳したら「どこへも行くな、ここにいろ!」だろうか。その幼い子の台詞の後でお母さんはちゃんと Sono qui accanto a te ここよ、おまえのそばにいるわ と優しい言葉をかけている。でも先生は妙に落ちついていて怖かったです
分からないところと敬語を無視しつつ、幼いザンザス・ザンザスの母・テュール風に訳すとだいたいこんな感じです
テュール「深い虫歯だな。もしこの歯のことを助けてあげたいんだったら、麻酔をかけて神経を抜かないとな」
ザンザス「やれやれだぜ!」
テュール「静かにしろ。麻酔をかけるぞ。それほど痛くないはずだ」
ザンザス「母さん? どこ? いかないで、そばにいてくれ!」
お母さん「ほら、しっかりして! 私はここにいる、あなたのそばにいるわ」
テュール「お願いだから頭を動かさないでいてくれ。口も閉じるな。――……ふう、今日はこれで終わりだ」
麻酔をかけられるとなったとたんに態度が豹変する子がなんだか愛しくてたまらない。それとも「かわいそうな僕!」とでも訳せばよかったのだろうか
辞書をぱらぱらめくっていたら è cosi? (それがどうした?) とか ira (怒り、憤怒) とかいろいろ発見できて楽しかったです。たぶんこんなことをしているから宿題も予習もレポートも終わらないのでしょうが、楽しいものは楽しいので我慢できない。はやく夢書きたいです
プリントに載っているのは「歯が痛いという子を連れて母が駆けこんできた、そういうわけで医者は子どもの歯の治療をすることにした」という雰囲気の会話なんですが……
頭の中でどうしても 子→ザンザス 母→ザンザスの母 医者→テュール に変換されてしまうのです
Mamma, dove sei? Non andartene, vieni qui vicino.
ママ、どこにいるの? いかないで、そばに来て
これは子どもの台詞です。訳の正否はともかく、幼いころはザンザスもこんな言葉を口にしたのかなぁと考えるとなぜだか気分はハッピーになる。現代ザンザス風に訳したら「どこへも行くな、ここにいろ!」だろうか。その幼い子の台詞の後でお母さんはちゃんと Sono qui accanto a te ここよ、おまえのそばにいるわ と優しい言葉をかけている。でも先生は妙に落ちついていて怖かったです
分からないところと敬語を無視しつつ、幼いザンザス・ザンザスの母・テュール風に訳すとだいたいこんな感じです
テュール「深い虫歯だな。もしこの歯のことを助けてあげたいんだったら、麻酔をかけて神経を抜かないとな」
ザンザス「やれやれだぜ!」
テュール「静かにしろ。麻酔をかけるぞ。それほど痛くないはずだ」
ザンザス「母さん? どこ? いかないで、そばにいてくれ!」
お母さん「ほら、しっかりして! 私はここにいる、あなたのそばにいるわ」
テュール「お願いだから頭を動かさないでいてくれ。口も閉じるな。――……ふう、今日はこれで終わりだ」
麻酔をかけられるとなったとたんに態度が豹変する子がなんだか愛しくてたまらない。それとも「かわいそうな僕!」とでも訳せばよかったのだろうか
辞書をぱらぱらめくっていたら è cosi? (それがどうした?) とか ira (怒り、憤怒) とかいろいろ発見できて楽しかったです。たぶんこんなことをしているから宿題も予習もレポートも終わらないのでしょうが、楽しいものは楽しいので我慢できない。はやく夢書きたいです
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