青く、どこまでも青く澄みわたる空を見あげながら、ザンザスは昔を思いだしていました。
◇
もうずっと昔のこと。
名前をよばれて、ふりかえると、おとうさんが腕をひろげてしゃがみこんでいました。
「ザンザス、おいで」
いったいなにをするつもりなんだろう。
ザンザスがふしぎに思って近づいていくと、おとうさんはいきなりザンザスをつかまえて、抱っこをしました。
誰かに抱っこをされるなんて初めてだったので、ザンザスは急に高くなった世界にびっくりして目を閉じてしまいました。
でも、おとうさんの肩にしがみついて、おそるおそる目を開けると、そこには視界いっぱいに青空がひろがっていたのです。
「今日はいい天気だ。空があんなにも青い」
おとうさんに抱かれて見あげると、あんなに遠いと思っていた空も、ぐんと近くにあるようでした。
手を伸ばせばなんにでも届きそう。ザンザスは思いました。空も、雲も、夜に見あげたときに見えるたくさんの星も、もしかしたらぜんぶ自分のものにできるかもしれない。なにせ、絶対につかまえられっこないと思っていたおとうさんのしわだらけの顔も、空とおなじ青色の瞳も、灰色のふさふさしたひげも今はすぐそばにあるのですから。雲や空の星にくらべたら、それをそばに感じることのほうがどれだけ難しいか!
おとうさんはふだんザンザスとは違うところにいます。お仕事がいそがしくて、なかなか会うことができないのです。
そのことに関しては、テュールやオッタビオはがまんが大事だといいます。
ボンゴレのボスになるためには、誰よりも強くなくてはならないし、頭もよくなければならないし、自分だけでなく、人のことをちゃんと考えられるようにならなければなりません。だから、おとうさんに会いたいからといって屋敷を抜けだしたり、わがままを言ってテュールやオッタビオを困らせたりしてはならないのです。
それに、ほんの赤ん坊みたいにおとうさんに甘えることはザンザスには子どもっぽく思えてなりませんでした。ザンザスは、そんなことは次期ボンゴレボスのすることじゃない、恥ずかしいことだと考えていたのです。
それだから、どんなにさびしくても誰にも言わず、いつもひとりで毛布にくるまって泣いていました。
本当はおとうさんに会いたくて会いたくてたまりませんでしたが、誰にもなにも言うことができず、おとうさんが来てくれるように空に祈るばかりでした。
……誰かが、ザンザスの声を聞いてくれたのでしょうか。
おとうさんは今、ザンザスのすぐそばにいます。ザンザスの手のとどくところに。
「ザンザス、見てごらん。鳥だ」
おとうさんは、ザンザスを抱っこして笑っています。
ザンザスは見えない誰かにありがとうを言って、おとうさんの肩に抱きつきました。
今日は甘えてもいいんだ。だって、ぼくはずっとがまんしてきたんだから。おとうさんが会いにきてくれたんだから。
すこし照れくさいけど、おとうさんはあたたかくてやさしくて、くっついているとなんだか胸がぽかぽかしてきます。こうしていれば、ひとりきりで眠ることや泣くことにも、もうすこしがまんできるかもしれない、とザンザスは思いました。
空は青く、どこまでも青く澄みわたっていました。
大空みたいにやさしい瞳をすぐそばに感じながら、ザンザスは、日が暮れておとうさんが帰らなければならなくなる時まで、おとうさんの肩に力いっぱい抱きついていました。
◇
気がついた時には、車に乗りこんでいました。
窓の外でスクアーロがなにやら騒がしくしています。急にどこへ行くつもりだ、会議はどうするんだ、そんな感じのことをめいっぱい叫んでいますが、ザンザスの耳には入ってきません。
車はすぐさま全速力で走りだしました。
あの時とおなじことをしている、とザンザスは思いました。そう、あの時の父とおなじことを。
十年近く経ってから聞いたことでしたが、あの日、ザンザスのおとうさんは、仕事も会議もほうりだし、ザンザスのためにと懸命に車を走らせたそうです。もちろん、信頼できる仲間や部下がいてくれたからこそできた行動なのでしょうが。
なんだかおかしい気持ちになって、ザンザスは笑いました。
あれからおとうさんのことを憎んだりもしたけれど、自分はけっきょく、そのおとうさんとおなじ行動をしようとしているのです。
隣の座席には、きれいにラッピングされた箱がひとつ乗っています。あげようかあげるまいか悩んだ末に購入して、渡そうと思ってから、八年以上が経過してしまった、父の日のプレゼントです。
とうとう、渡せる時がやってきたのです。
ザンザスはまた笑いました。それは自嘲やあざけりの笑みではなく、プレゼントを手渡された時のおとうさんの顔を想像して、自然とうかんできた優しいほほえみでした。
今日は父の日。
青く、どこまでも青く澄みわたった空の下を、ザンザスを乗せた車は、おとうさんのいる場所めざして全速力で駆けていくのでした。
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書いているうちに父の日が終わってしまっていました。
調べてみたところ、イタリアではどうやら父の日は3月19日だそうです。
シチリアでは父の日にSfincione(スフィンチョーネ)という、ドーナツみたいな生地の中にたっぷりリコッタチーズをつめて揚げたお菓子を食べるらしいです。おいしそう。四角形のシチリア風ピッツァもスフィンチョーネという名前みたいですし、スフィンチョーネは美味しそうなものばかりで最高ですね。
テ「父の日があり、母の日があり、子どもの日がある。それなのにどうして師匠の日は存在しないのか? オッタビオ、おまえはどう思う?」
オ「……」
エ「『テュール、おまえのぶっ飛んだ考えにはもうついていけない。いい加減にしてくれ』だとよ」
オ「そ、そんなことは考えておりません! ただ、すこし答えに迷う問題だな、と」
テ「エンリコ! おまえはどうなんだ。『おじの日』や『兄貴の日』がなくて悲しくはないのか。オッタビオも『補佐の日』がなくて寂しいとは思わないのか。オレは悲しいぞ。寂しいぞ」
エ「……おい、テュール。ちょっと飲みすぎじゃないのか。それで何杯目だ。明日にひびくぞ」
オ「そうですよ、明日も朝から会議が」
テ「ザンザスめ、なぜ敬老の日にオレにプレゼントを渡してくるんだ……」
エ「……」
オ「……」
エ「飲め。飲め、テュール」
オ「朝までお付きあいしますよ」
テ「そうだな! みんなで飲もう! ぱーっといこう!」
テ「頭が痛い……吐き気がする」
オ「私も頭痛が……」
部下A「大丈夫ですか、お二人と……あ……吐いちゃった」
ザ(やっぱり、そこらへんの飲んだくれじじいと同じだな)