大豆のブログというかメモ帳みたいなものです
気づけばもう2月も終わりですね。外ではまた雪がちらついていますが、3月4月になったらもうちょっと暖かくなりそうで今からわくわくです。
そして前の更新から1ヶ月が経とうとしていることに気づいてびっくりしました…レヴィのバレンタイン夢を書いてからもうそんなになるのですね。最近時が経つのがやけに早く感じられます。
で、最近大人になりました(・ω・)ノ
本音としてはずっと子どもでいたい、大好きなおもちゃに囲まれて~……
今でもままごとセットとか見るとワクワクしてきます。おもちゃ屋さんとか大好きなのですが、この年齢になっておもちゃ屋さんを自分のためにウロウロしているのはちょっと恥ずかしいかなぁとも考えています。でも好き。おもちゃ屋さんは永久の楽園です
基本的に無口でむすっとしていることが多いが、テュールやエンリコ兄さんにおもちゃを買い与えられたりすると「子ども扱いすんな!」と顔を真っ赤にしながらジタバタするザンザス(幼少期)
九代目になにかもらった時には顔を真っ赤にしてうつむいたまま「あ、ありがとう――……と、父さ、ん」とつぶやく
クリスマスとかにおもちゃ屋をうろうろした挙げ句なにを買うかぐちぐち悩み、ついにはあれを買うこれを買うで口げんかになる剣帝テュール&エンリコ兄さん
テ「エンリコ、これがいい。これなら絶対に喜ぶ」
エ「馬鹿言え、そんな子どもっぽいものをあいつが喜ぶはずないだろうが。こっちはどうだ、長く使えそうだし、なによりあいつによく似合う」
テ「こういう時だけ兄貴面して」
エ「そういうお前は親父面か」
テ「……」
エ「……」
テ「お前は昔からそうだった、自分の都合のいい時だけ理想の姿を振る舞おうとする。本性はろくでもない男のくせに」
エ「お前は馴れ馴れしいお節介で、ことあるごとにオレにつっかかってきてはよく授業を崩壊にもちこんだもんだ。理解のあるやさしい男を演じておいて、実際は単なるわがまま坊ちゃんに過ぎない」
テ「なんだと!?」
エ「なんだよ」
九「二人とも、なにを買うか決まったかい。その様子だとまだみたいだね。いいじゃないか、ふたつとも買ってしまえば」
テ「いいえ九代目、こいつの選んだものは必要ありません」
エ「いや、テュールの選んだものこそ買うべきじゃない。なにが『絶対に喜ぶ』だ。ほとんどお前の趣味だろう」
おもちゃ屋さんは永久の楽園(*^o^*)
そして前の更新から1ヶ月が経とうとしていることに気づいてびっくりしました…レヴィのバレンタイン夢を書いてからもうそんなになるのですね。最近時が経つのがやけに早く感じられます。
で、最近大人になりました(・ω・)ノ
本音としてはずっと子どもでいたい、大好きなおもちゃに囲まれて~……
今でもままごとセットとか見るとワクワクしてきます。おもちゃ屋さんとか大好きなのですが、この年齢になっておもちゃ屋さんを自分のためにウロウロしているのはちょっと恥ずかしいかなぁとも考えています。でも好き。おもちゃ屋さんは永久の楽園です
基本的に無口でむすっとしていることが多いが、テュールやエンリコ兄さんにおもちゃを買い与えられたりすると「子ども扱いすんな!」と顔を真っ赤にしながらジタバタするザンザス(幼少期)
九代目になにかもらった時には顔を真っ赤にしてうつむいたまま「あ、ありがとう――……と、父さ、ん」とつぶやく
クリスマスとかにおもちゃ屋をうろうろした挙げ句なにを買うかぐちぐち悩み、ついにはあれを買うこれを買うで口げんかになる剣帝テュール&エンリコ兄さん
テ「エンリコ、これがいい。これなら絶対に喜ぶ」
エ「馬鹿言え、そんな子どもっぽいものをあいつが喜ぶはずないだろうが。こっちはどうだ、長く使えそうだし、なによりあいつによく似合う」
テ「こういう時だけ兄貴面して」
エ「そういうお前は親父面か」
テ「……」
エ「……」
テ「お前は昔からそうだった、自分の都合のいい時だけ理想の姿を振る舞おうとする。本性はろくでもない男のくせに」
エ「お前は馴れ馴れしいお節介で、ことあるごとにオレにつっかかってきてはよく授業を崩壊にもちこんだもんだ。理解のあるやさしい男を演じておいて、実際は単なるわがまま坊ちゃんに過ぎない」
テ「なんだと!?」
エ「なんだよ」
九「二人とも、なにを買うか決まったかい。その様子だとまだみたいだね。いいじゃないか、ふたつとも買ってしまえば」
テ「いいえ九代目、こいつの選んだものは必要ありません」
エ「いや、テュールの選んだものこそ買うべきじゃない。なにが『絶対に喜ぶ』だ。ほとんどお前の趣味だろう」
おもちゃ屋さんは永久の楽園(*^o^*)
イタリア語のプリントをやっていたら、気になる文章を発見しました
プリントに載っているのは「歯が痛いという子を連れて母が駆けこんできた、そういうわけで医者は子どもの歯の治療をすることにした」という雰囲気の会話なんですが……
頭の中でどうしても 子→ザンザス 母→ザンザスの母 医者→テュール に変換されてしまうのです
Mamma, dove sei? Non andartene, vieni qui vicino.
ママ、どこにいるの? いかないで、そばに来て
これは子どもの台詞です。訳の正否はともかく、幼いころはザンザスもこんな言葉を口にしたのかなぁと考えるとなぜだか気分はハッピーになる。現代ザンザス風に訳したら「どこへも行くな、ここにいろ!」だろうか。その幼い子の台詞の後でお母さんはちゃんと Sono qui accanto a te ここよ、おまえのそばにいるわ と優しい言葉をかけている。でも先生は妙に落ちついていて怖かったです
分からないところと敬語を無視しつつ、幼いザンザス・ザンザスの母・テュール風に訳すとだいたいこんな感じです
テュール「深い虫歯だな。もしこの歯のことを助けてあげたいんだったら、麻酔をかけて神経を抜かないとな」
ザンザス「やれやれだぜ!」
テュール「静かにしろ。麻酔をかけるぞ。それほど痛くないはずだ」
ザンザス「母さん? どこ? いかないで、そばにいてくれ!」
お母さん「ほら、しっかりして! 私はここにいる、あなたのそばにいるわ」
テュール「お願いだから頭を動かさないでいてくれ。口も閉じるな。――……ふう、今日はこれで終わりだ」
麻酔をかけられるとなったとたんに態度が豹変する子がなんだか愛しくてたまらない。それとも「かわいそうな僕!」とでも訳せばよかったのだろうか
辞書をぱらぱらめくっていたら è cosi? (それがどうした?) とか ira (怒り、憤怒) とかいろいろ発見できて楽しかったです。たぶんこんなことをしているから宿題も予習もレポートも終わらないのでしょうが、楽しいものは楽しいので我慢できない。はやく夢書きたいです
プリントに載っているのは「歯が痛いという子を連れて母が駆けこんできた、そういうわけで医者は子どもの歯の治療をすることにした」という雰囲気の会話なんですが……
頭の中でどうしても 子→ザンザス 母→ザンザスの母 医者→テュール に変換されてしまうのです
Mamma, dove sei? Non andartene, vieni qui vicino.
ママ、どこにいるの? いかないで、そばに来て
これは子どもの台詞です。訳の正否はともかく、幼いころはザンザスもこんな言葉を口にしたのかなぁと考えるとなぜだか気分はハッピーになる。現代ザンザス風に訳したら「どこへも行くな、ここにいろ!」だろうか。その幼い子の台詞の後でお母さんはちゃんと Sono qui accanto a te ここよ、おまえのそばにいるわ と優しい言葉をかけている。でも先生は妙に落ちついていて怖かったです
分からないところと敬語を無視しつつ、幼いザンザス・ザンザスの母・テュール風に訳すとだいたいこんな感じです
テュール「深い虫歯だな。もしこの歯のことを助けてあげたいんだったら、麻酔をかけて神経を抜かないとな」
ザンザス「やれやれだぜ!」
テュール「静かにしろ。麻酔をかけるぞ。それほど痛くないはずだ」
ザンザス「母さん? どこ? いかないで、そばにいてくれ!」
お母さん「ほら、しっかりして! 私はここにいる、あなたのそばにいるわ」
テュール「お願いだから頭を動かさないでいてくれ。口も閉じるな。――……ふう、今日はこれで終わりだ」
麻酔をかけられるとなったとたんに態度が豹変する子がなんだか愛しくてたまらない。それとも「かわいそうな僕!」とでも訳せばよかったのだろうか
辞書をぱらぱらめくっていたら è cosi? (それがどうした?) とか ira (怒り、憤怒) とかいろいろ発見できて楽しかったです。たぶんこんなことをしているから宿題も予習もレポートも終わらないのでしょうが、楽しいものは楽しいので我慢できない。はやく夢書きたいです